20年前、松山のキャバクラでバイトした話
こんにちは。
ラエコです。
実は、思い出した(っておい)のですが、20年くらい前、沖縄の「松山」というエリアのキャバクラで1週間ほどバイトをしたことをご報告します。
こんなところに書こうか迷ったのですが、だいぶ時効ですし、このブログ、ただの日記ですので、まあお許しください。
海外貧乏旅行時代
10代の終わりに、バイト代で貯めたお金で初めてお友達とバリ島に行ってから旅に目覚めた私は、その後、貧乏旅行で海外にちょこちょこ行ったりしてました。
バイトで旅代を稼ぎ、全財産を持って旅に出て、お金がなくなったら戻ってまた稼いで旅する生活…。
よく好きで行ってたのがタイ。
あの頃、タイの島々には、レオ様の映画「THE BEACH」に憧れたバックパッカーがたくさんいた。
これのちょっと前だと、沢木耕太郎の深夜特急の小説とかも良かったよね。
今でもたまに読む。
私が旅してた時は、インターネットもほぼない時代で、情報も全然入ってこないので、現地で知り合いを作って情報を集めをし、手探りで旅をするため、いつも行き当たりばったり。
これはNYです
今はもう絶対無理だけど、一泊300円くらいのゴキブリやダニがでるような宿にも泊まったし、知らない人たちと2段ベットで泊まるドミトリーや、たまに奮発して一泊2000円くらいのクーラーがあるホテルに泊まったり、英語が全然話せないのに、「現地に行ってから宿を探す」ってよくやってたなって思う。
いま思うと根無草的な性格は、この時に確定してしまったのかもしれない。
もちろんお金がないからご飯はいつも屋台で、日本円で90円くらいのタイヌードルばかり食べてた気がする。(今はバーツが上がったからもう少し高いと思う)
路上にある安い家族経営の旅行代理店でツアーに申し込んで、タイからカンボジアに陸路で入ったりもした。
トラックのね、荷台でいくの。
「インサイドチケット」だと助手席で埃とか暑さから守られてるけど値段が高くて(っていっても陸路だから普通に安いと思うけど)、「アウトサイドチケット」だと超安いんだけど、10時間以上トラックの荷台だから普通に外にずっといる感じで、その状態で国境を越える。
しかもアウトサイドだと自分以外にもたくさん人がいるからギューギューでさ、もちろん多国籍。
いまだったら絶対お金かかってもインサイドだけど、あの頃は頑なに貧乏一択だった。
しかし超過酷な長距離移動の末の「アンコールワット」は素晴らしかった。
あの当時、いろんな人に会った。
変な人、なんかすごそうな人、完全世捨て人、今でも忘れられない人がたくさんいて、たまーに昔のフェイスブック覗くとそういう人たちが結婚して普通ぽい人になってたりするからウケる。
タイ以外にも他のアジアや、ヨーロッパ、南米とかも行ったけど、その話はまた今度…。
沖縄貧乏旅行時代
さてそんなこんなで、海外だけじゃなく、国内では沖縄によく来てました。
1ヶ月とか2ヶ月とかいるためお金がかかるので、ゲストハウスみたいな安宿を転々としたり、移動もヒッチハイクとかしたこともあったし、本島から石垣まで船ですごい時間かけて行ったりしてた気がする。
これはどこかのヨーロッパ
そんなこんなで、何回目かの沖縄で、旅行中に「あ、帰りの航空券代がギリギリだ!」となり、「航空券代を稼がねば!」となり、たまたま那覇にいたので、「そうだ、キャバクラで日銭を稼いでみよう」と思ったんだよね。
いろいろ調査して、「松山」というところがそういうエリアらしいとなり、目星をつけて面接に行った(お店の名前は覚えてるけど書かないでおく。まだあるかはわからない)。
面接の人にも正直に「旅の途中で生活費が必要で、1週間だけお金を稼ぎたいのです」って言ったんだけど、とても心優しくOKしてくれて、「沖縄ってデージいいとこさぁ」みたいなゆるーい感じだったのを今でも覚えている。
でバイト生活が始まるんだけど、めちゃ楽しかった笑
「あわもり~もりもり~あわもりもりもり!モリ!!」
「何が出るかな〜何が出るかな〜ハブより強いマングース!」
とかいくつか沖縄の飲みコールも覚えたし、あの時に泡盛の味を覚えたと言っても過言ではない。
この久米仙?というお酒、好きだった気がする。
そして無事に1週間を終え、いくらか小銭を稼ぐことができた。
たしかそのお金で、いつもは宿で納豆ご飯とか食べてたんだけど、ちょっと良い餃子?みたいのを食べに行った気がする笑(若いってウケる)
おばさんになって思うこと
さて、ここまで書いたことは、一見若気の至りにも見えるのですが…。
このように旅人をしてた時ですね、「そんなフラフラしてられるのも今のうち~」とか大人に言われたり、「こんな旅ばっかして私は社会に適合できないのではないか」と周りを見て焦ったり、「一生落ち着けなかったらどうしよう」とか思ったこともあった。
けど、時代は変わって、今は旅を仕事にしてる人だっているし、私がしてたような生活を面白がってくれる人が増えたではないか!!
このブログにも書いたけど、人生どう繋がっていくかわからない。
私もあの当時の旅の経験があったおかげで、乗り切ってこれたことがたくさんある。
一番の財産は、「なんとかなるもんだ」精神が身についたことで、これがあるがゆえに、娘の不登校問題も、最初は悩んだけど、すぐに楽観的モードに切り替えられたんだと思う。
自分を信じていけば、人生結果オーライに落ち着くはずだと思ってます。
いまはね、子育てが忙しくて旅には行けないけど、日常が旅だと思ってちょっとした変化…たとえば新しいパンを作ったり、新しい市場に行ってみたり、行ったことないお店でランチするとか、旅の本とかも読むし、この日記始めたのだってそうだし、毎日同じにならないように工夫している。
けどね、おばさんになって、毎日同じも全然苦じゃなくなってきている感はある(汗)
ちゃんちゃん
ラエコ
旅先のスーパーに行くのが好きです
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2021年、娘2人を連れて家族で東京から沖縄に移住したラエコと申します。
暇さえあれば何かしら動いてる落ち着きがない性格です。
旅、読書、映画を愛してますが、日々すったもんだであまり時間が取れません。
日々何気ないこと呟いていますので、よければXも覗いて見てね。
ブログは
の日記に分かれてます。
しょーもないことばっか書いてますが暇つぶしにどうぞ。