学校に行かない選択をした子
こんにちは。
ラエコです。
Twitterでは別に書いてないのだが、我が家の長女はいわゆる「不登校」!!
普通に学校に通っていたら、今年の4月から小学校3年生になる。
しかし、小学校1年生の夏休み前(6月くらい)から小学校に行きしぶり、そこから暗雲たる時間を過ごした…。
ちょうど二年前だから、コロナ真っ最中の時期である。
ある日娘が不登校になった
その頃は、登校日の前日に、私はまるでご機嫌斜めの彼氏をあやすかのように「あーそういえば明日学校だよねえ~?時間割りなんだっけな、あ♡体育あるじゃん!やったねえ」とか言って、その時の娘の表情をすかさずキャッチし、
明るい顔をしたから明日は行ってくれるかも!
ちょっと渋い顔したな…明日も行かないかな、、、
などなど一喜一憂する日々。
いざ登校当日になり、「頼むまじで行ってくれ」と祈るような気持ちを持ちながらいざ学校へ。
しかし娘っち、門まで行ってそれ以上足が進まない。
私は、何度も、そこから走って逃げた。
号泣する娘を置いて、「すまん!!!学校って行くしかないところだから!!!」と思って逃げた。
息を切らしながら、学校に入っていく娘を遠目で確認する私。
「ふーようやく行ってくれた」と安堵し、その後疲れがドドーッと出てきて、どこかで「まさか不登校予備軍?」という思いがかすめつつも、見て見ぬふりをしていた。
娘をお迎えに行くと、顔をひきつらせながら誰よりも早く外に出てくるので、一番先に教室を出たのがわかる。
「こいつ、定時になるとタイムカードを押して残業とかしないタイプだな、ははは」とか自分の中で必死にこの事柄を笑いに変えたりもした。
放課後かかってくる担任の先生からの電話で「学校に来れば元気でやってますよ、なのでどうにかして来させてくださいね」という言葉に小躍りしながら、「ほらね、行けば行ったでなんとかなるのよ」と思っていたわたし。
ただ、なんとなーく娘が暗い。
というか、暗すぎる。
言葉数も少ないし、オーラが日に日にドヨーンとしている。
それでも私は、「学校に行ってくれなくては困りますよ、嫌でもいくものなんです」というスタンスでいた。
不登校を認めたくなかった。
ついに限界に達した娘
そして、ある時から、娘が登校日前日「頭が痛い」と言い出し、最初は仮病だと思っていたのだが、夜中に「頭が痛いよー」とうなされて泣き出してしまうように。
子供の頭痛って心配なんですよね、熱とかならまだしも、頭痛って目に見えないものだから、「娘の体で何が起きてるんだろう…」と考えてしまう。
そしてある日、あまりにも頭痛がするというものだから、心配になりMRIを取ることに。
結果は異常なし、ただその時に診て下さった小児科の先生が「いまコロナで子供ストレスがものすごい多くて、頭痛などに悩まされることが多いです。もしお子さんが学校に行きたくないのであれば、少し休ませてあげてください」と言われ、ハッと我に返った。
「あ、もうこれは娘のストレスマックスで体に現れちゃってるんだな。。」と遅ばせながら気づいた。
そして病院の待合で、「もう、むすめ、がっこう、いかなくてええわ」と開き直ったのである。
私は、頑固なのだが、開き直ると早い。
周りがドン引きするくらい、開き直ってからのスピードが圧倒的に早い。
ピッカーン!!!イエーイ!!!やっちゃうぜ!!!とまるでパリピのようなノリで、開き直ってしまい、楽観的になる瞬間があり、それがその時訪れたのである。
で、どうすればいいの?
しかし、である。
「学校に行かなくてはいい=毎日家にいる」というのはさすがに困る。
ホームスクールという言葉も頭をかすめたが、あれは親に確固たる考えがあったり、先生方より頭が良かったり、カリスマ性がある人がするものであって、パンピーの私が見よう見まねでやるものではないはず…。
そこで、調べに調べ、不登校の子たちが通う「フリースクール」なるものがあることを知り、手当たり次第に電話をした。
不登校になったのが6月だったので夏休みに入る前にフリースクールを決めたい!早く解決したい!という思いも強かった…。
と同時に、不登校の親が読む本なども読み漁ったが、正直ピンとくるものはなかった。
親のせい、食事のせい、昨今の学校教育のせい、発達障害の疑い、などいろいろと不登校の事情を掘り下げて書いてる本は多かったが、私が救われた気持ちになるものはなかった。
結局いまになって考えてみると、学校に行かなくなった理由は一言で言うと「つまらない」ということに尽きるんだと思う。
毎日毎日朝早く学校に行って、朝からラストまで勉強。
重いランドセル、短い休み時間、細かいルール。
あの当時はコロナもあって、マスク、黙食の暗黙の強制など。
娘がある日言ってきた、「ねえ、毎日朝からずーっと机に座って勉強してるのに、なんで家に帰っても宿題をしなきゃいけないの?」という素朴な疑問が忘れられない。
でもさ、私も含めみんな「まあ学校って行くものだよねも」って感じで行くし、「学校に行かない」なんて大それたこと思いもしないよね…。
6歳で学校行かないって決断した娘はある意味、将来有望だと思う…(親バカですみん)。
話は戻るが、その後いくつかフリースクールを見学や体験し、娘が一番笑顔が多かった某フリースクールに入り、今では超楽しく通っている。
日々のプログラムも自然と戯れ、お金の勉強などもしてくれ、基礎学力も身に付けてもらえる。
人間、読み書きできたらいいっしょ。
不登校という言葉に疑問
娘も楽しそうだが、私も今まで経験できなかったことをたくさん出来ている。
そして、いわゆる「不登校」の子や、親御さんと話すうちに、「不登校」ではなく「学校を行かないと選択をした子」という言葉の方がしっくりくるな~と思うように。
あとはこうならなければ、一生感じることがなかったであろう気持ちも知った。
例えば、「学校どこですか?」と聞かれたときに、フリースクールの説明を一応するんだけど、明らかに普通の学校より下に思われているなと感じることもあり、モヤモヤすることもあった。
ジェンダーや人種差別などには及ばないかもしれないけど、当たり前に飛び交う差別発言で、知らず知らずに人を傷つけてしまうことを私は避けたいな、と思えるようになった。
でも今でこそこう思えるけど、この考えに至るまではジェットコースターのように気持ちが浮き沈みしたのは事実である。
人生、全ては勉強であるからして、マイナスなことはなにもないのだけど。
たまーに、フリースクールの自由な教育の話をすると「いいなあ、そういう体験っていいですよね!!羨ましい」とか言われることもあるが、「いやいや、ぶっちゃけ自分の子供がある日急に学校行かなくなったらまじ悩むでしょ、まじ振り切るまでが大変だから」って密かに思ってる笑
そんなこんなで…
てか、この日記は昨日一気に書き始めて、最初は超書きたいモードだったのに、時間がなくて今日まで持ち越したら、何が書きたかったのかわからなくなった。
何が書きたかったんだっけ?
なんかね、不登校の「不」って、不幸、不利、不明とか嫌なことにばっか使われる言葉じゃん?
でも実際の不登校の子って、もちろん状況によると思うけど、自分の選択を尊重してもらえる環境を見つけたらめちゃハッピーなんだよね。
ただ、親の負担は半端ない。
うちもずーっと弁当だし、これがあと何年も続く。
学校に行かせたいっていうより、「給食様にお世話になりたい」って何度思ったことか。
ただ、まあ本当にこの件で私も成長させてもらっているので、今となっては「娘が学校行かなくなった事件」は、人生で起きて良かったことベスト5に入ってる。
さー!!明日の弁当どうすっかなー!!
ラエコ
爆弾みたいなスイカ
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2021年、娘2人を連れて家族で東京から沖縄に移住したラエコと申します。
暇さえあれば何かしら動いてる落ち着きがない性格です。
旅、読書、映画を愛してますが、日々すったもんだであまり時間が取れません。
日々何気ないこと呟いていますので、よければXも覗いて見てね。
ブログは
の日記に分かれてます。
しょーもないことばっか書いてますが暇つぶしにどうぞ。