東京センチメンタルな夜

雑記ブログ
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東京に来ている。

 

宿泊してるホテルの目の前がオフィスビルで、まあみなさん、23時過ぎまで背広の人が仕事してるのが見える。(23時以降はわからない、なぜならオイラは寝てしまってるから)

 

オフィスビル左奥には広がる東京夜のネオン。

 

右奥には三日月。

 

沖縄とは全く違うこの光景に、少しセンチメンタルな気持ちになり、こうツイートしてしまった。

 

 

そう、今の時代、「働き方改革」やら「やりがい搾取」などの言葉が溢れていて、まるで働き過ぎが悪いこと、大問題のように扱われているが、過去の自分を振り返ると果たしてそうだっただろうか?と思ってしまった。

 

もちろん不当な扱いをする会社や仕事はNGだと思うし、それは大前提な話として、全てが全て、遅くまで働いたりそれによって存在意義や依存をしてしまうことが、悪いことではないのではないか。

 

東京での生活は孤独を感じることが多い。

 

ものすごい人との距離が近いのに、いつもなにか寂しい。

 

毎日ものすごい数の人と合ってるのに、どれも心では認識していない。

 

しかし、仕事を遅くまでしてるとそんなことも考えなくなってくる。

 

からの、ずーっと仕事をしてると、自分が会社にとってなんだか役に立っていると感じる。

 

ようやく疲れがピークになる頃には、一人暮らしの家に帰りたくなくて、同じような仲間と飲み行く。

 

酔い潰れる、気付いたら朝。

 

そして、また仕事…の繰り返しで、つねに孤独を気にしないように生きていた。

 

仕事がない土日なんて、逆にどうしていいのかわからなかった気がする。

 

もちろん土曜日の夜は飲みに行く決定だけど、日曜日とかどう寂しさを紛らわそうかと。

 

周りはどんどん結婚、出産して会えなくなってゆく。

 

「私ずっとこのままなの?」とふと例えようのない孤独と不安感に苛まれ、忘れるように仕事に打ち込む日々。

 

もちろんこう書いてはいるけど、その当時は「孤独」であるとは自分で認識してなかったわけだが、ただやはり、東京で生きてく上で「仕事」に救われていた部分は大きい。

 

やりがい搾取も、こちらがむしろ孤独を消すために利用していた部分も無きにしもあらずである。

 

今もし、私がこの働き方改革の時代に東京にいたら、どうやって孤独をまぎらわせてたのだろうか?

 

おそらく私は、働き方改革など全く関係のない、「全然バリバリ遅くまで働いてまっせー」的なグループにいて、結局よなよな飲んでたのではなかろうか。

 

ラエコ

 

東京お疲れ!

 

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